シェイクスピアが活躍した16世紀17世紀のロンドンには多くの公衆劇場があった。1576年にザ・シアターいう最初の劇場が建てられ、それに続くように多くの公衆劇場が建てられた。それらは1642年の清教徒革命まで続いた。当時の市民に多くの影響を与えたにも関わらずそれらを示す資料はほとんど残っていない。唯一残っているのがオランダ人旅行家デ・ウィットが描いたスワン座のスケッチである。(図1)
グローブ座はシェイクスピアが所属していた宮内大臣一座の本拠地劇場であった。シェイクスピア戯曲の多くがこの劇場での上演を想定されて書かれた事は忘れてはならない。グローブ座の舞台は今でいう張り出し舞台であった。舞台の幅は約13.1m、奥行きは8.2m。舞台面は土間から1.5mほど上がっていた。舞台後ろには2つか3つの扉があり、中央にはカーテンで仕切られた部屋があった。舞台面には地下から俳優が出られる仕掛けも備え付けられていた。大理石を模した柱は天井を支えており、その天井には空や雲が描かれていた。天井にも仕掛けがありロープなどで俳優が降りてくる事ができた。客席は土間の立ち見席とその後ろのひな段席。2階3階のギャラリーにも階段状に設置された座席があり、収容人数は3000人ほどであったと言われる。舞台照明はない。空いている天井から自然光が入るようになっていた。(当時、舞台照明がなかった訳ではない。室内劇場ではオイルランプを利用した精巧な照明装置が使用されていた。)舞台装置はほとんどなく、小道具と置き道具だけで上演された。
対照的に衣装には莫大な予算が付けられていた。中心はあくまで俳優であったのだろう。だからこそ台詞が大変重要視された。説明的と思われる当時の戯曲もこの劇場では実に自然に見えるのだ。戯曲だけ見ていると気が付かないがシェイクスピアの戯曲からはこの空間に向けて当て書きされたであろう箇所がいくつも見つかる。現代の研究はテキスト中心主義の所があるが、空間から読み解く研究と言うものをもっと進めて良いのかもしれない。
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